2000年9月11日東海大水害にあった折のレポートです




会社から100mほどのところにある新川の堤防が決壊し、会社が160cmほど水に浸かりました。三日会社には入れず、パートさん達も避難所暮らしをされたりされました。幸い建物が壊れたりはせず、多くの友人の助けで20日ほどで営業開始できました。つながりのある有難さを実感したできごとでした。
被災者になった気持ちをレポートしておこうと発信したメールレポートです。

(タイトルをクリックしてご覧ください)

東海大水害第1便 2000.9.13


第2便 2000.9.17


第3便 2000.9.19

第4便 2000.9.26

第5便 それにつけても泥のスゴサよ 2000.10.7

ふと気付けばベランダの彼岸花が咲いていました。秋ですね。

先週から倉庫整理と、一度洗ったものの再洗いをしつつ通常業務も始まり少しづつ日常を取り戻してきました。泥に浸かった材料をメーカーさんに洗浄に出していましたが3分1位は難しいとの事。社内でも洗ってますがきれいになったように見えても、乾くと白い粉を吹いたようになり洗っても、洗ってもというカンジ。キリがないので先週末でTシャツ姿に明け暮れた日々に終止符を打ち、月も改まった今週から営業マンは久しぶりのネクタイ姿に戻りました。多くの皆様のお陰で本当に早く復旧できました。

水に浸かっただけだからと思ったのは大きな間違いで、泥をかぶるというのはスゴイものでした。ある機械など一度きれいにしたにも拘らず細かい所からバケツ1杯もの泥が出てきてビックリでした。幸い事務所が3階でしたので少しづつでも営業ができましたが、事務所も浸かった所は本当に大変だと思います。会社の人が近くを車で走ったら、伝票や台帳を暗い顔でめくりながら干しているのが気の毒だったと話していました。ある会社ではつい最近大きな機械を奥に据付、内装をした為に壁を壊さないと機械の修理ができないとか・・・片付けるのも、ものすごくエネルギ-が要りますが、当初は一種の興奮状態でとにかく目の前のことを何とかする事に集中していますし、ボランティアさんも入り非日常の世界で頑張れるところがありますが、ニュースにものぼらず全て何事もなかったかの様になった時からそれぞれの大変さが始まります。
 水に浸かった界隈は町工場も多く、1000社に及ぶ工場,商店の70%近くがまだ操業のめどが立ってないと先週末の記事にありました。廃業を決めた所もちらほら出始めています。

新川堤防の決壊は人災的要因も強いようです。
切れた堤防は未舗装で、対岸の堤防が工事中の為、湾曲した所で渦を巻きそれが対岸にぶつかっていた所へもってきて、すぐ上で排水機場のポンプが危険水位になってからも6時間以上毎秒30tの水を新川に注ぎ込んでいたそうです。その上地元消防団の人が、堤防が崩れかけているのを発見して消防署に出動依頼していたのですが別の所へ出ていて手が打てなかったとか。さまざまな要因が重なり堤防は決壊しました。
 あふれた川も昔は氾濫の後は肥沃さをもたらす事ができたのに、今は迷惑をかけるだけでは立つ瀬がないだろうなぁという気がします。便利快適、効率を追いかけ、人間の都合で山を削り田をつぶし、道路は舗装。元々その地域がどんな姿をしていたか知る由も無く、自然への畏れをなくし、知恵をなくし、備えをなくした私達。
 宇宙物理学者の佐治晴夫先生は著書の中で環境問題について 「一歩地球を離れて、地球にとっての川とは何だろうか、そして空気は何なのだろうか。その問いの向こうに何かが見えてくるはずです。」と書かれています。
作業を手伝いに来てくださった友人は様子を見て”地球規模のグランドデザインがいりますね”と言ってました。新聞に堤防の増強の事など書かれていました。勿論それは必要でしょう。でももっと根本的なところから見直さなければ姿を変えた新川が出てくるような気がします。

三宅島の人達は職場も失いどうされているのだろうか、何か生活費の補填でもでているのかなぁと考えていた矢先、ニュースで三宅島の人達は今貯金をとり崩しながら避難生活をされていて、長引きそうなので就職先を捜しているそうですが、なかなか見つからず生活の不安を抱えて子供達と別れて暮らされていると言ってました。不幸にして災害に遭ったとき、少しでも生活のベースが守られるような支援の仕組みはどうあれば良いか自分の事として考える必要があると思います。公的支援もそうですし、地域通貨を含めたコミュニティも大切だと思います。たまたま今回は幸運にも、多分決壊現場に近い会社としてはとても軽い被害で済んだと思います。が、もし壊滅的な状態だとしたら職場も家も失う可能性が充分あります。被災して心ならずも突然ホームレスになってしまうことがあり得る。
最初に頭に浮かんだことはその事でした。
競争社会は自助努力の世界ですが、災害にあったときも全てその論理では弱い人にしわ寄せがいくばかりでしょう。日本は世界一の水害大国だそうです。又地震列島でもあります。誰もが被災者になり得ることを念頭において、どうあるべきか考える必要があるとつくづく思います。それはシステム上のことだけでなく関係性をどう育てていくかも含め、安心して災難にあい、老いることのできる社会を創ることでもあるように思います。
 延べ35人に及ぶ手伝いに来てくれた友人、お見舞いの品や便りを送ってくれた友人,知人がどれほど支えになったことでしょう。大変な中でも明るくいられたのはそれらの人達のエールによるものです。無くしたものよりも、与えられたものの大きさに感謝で一杯です。そして長いメールを読んで頂き有難うございました。

ほ・の・ま  beyond the border
鶴田 紀子