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64号 「命の使い方」
名古屋で長く起業支援をされているNPO法人起業支援ネットさんが、豊かな関係性こそ本当の意味で起業家誕生に不可欠との思いで始められた「起業の学校」。昨年末10周年記念&卒業式に参加させて頂きました。「切実に社会の問題と自分を変えたいと願う人が、自身を受け入れ、他者を受け入れながら未来への希望を紡ぐための命の使い方を学ぶ場」と関戸校長は言われます。人生を考える場として、一人ひとりの人生と向き合い、寄り添い、深く関わられ、同期生・先輩・講師の方々のつながりはとても豊かです。学びの場での出会いを関係につなげ、その関係を起業コミュニティに進化させたいという学校を始められた願いが、結実しつつあると感じました。
卒業生は多彩な活動をされていますが、起業家を輩出するのが目的ではないと言われます。「自身と社会の関わり方を考え、命の使い方を学んだ起業家精神を持つ人が増えれば、社会の課題解決に向かって世界を進化させることができる」。そんな思いをより多くの人と、より深く共有したいと、11年目の今年春に福島キャンパスを開校されます。
その福島にある今号のBeな人、鈴木勲さんの㈱ら・さんたランドさんは、まさに起業化集団の会社です。2011年8月、東日本大震災から5カ月、混乱のさなかに開催された全体ミーティングに参加させて頂きました。お客様も社員さんも避難を余儀なくされた方も多く、さぞ大変だったことと思いますが、皆さん、明るく、きびきびと、さまざまな表彰やワールドカフェも交えながらの経営発表会でした。表彰されたお一人は、被害の大きかった地域でお客様・基盤を失った仲間に、ご自分が育ててこられた地域を譲られた方でした。東京に避難し職を変わられた方も全体ミーティングの為に戻って会の司会役を全うされ、鈴木さんが願っておいでの励まし合い支え合う世界を垣間見させて頂きました。働く人が可能性に気付き、発揮される事例、参加された方に喜んで頂けるよう工夫されたあれこれに胸が熱くなりました。震災後に増えた健康相談にもお応えしたいと全員が健康管理士一般指導員に挑戦される等、より深く寄り添えるように色々手掛けられています。
現代は個を超えたいのちのつながりを実感しづらくなっていますが、身体を深く感じることでも繋がりを感じられます。心臓が休まず鼓動し続け、血液を全身に回してくれること、意識しなくても食べた物が、食道から胃・腸に至り、消化・吸収されて排泄されることや、隅々まで張り巡らされた神経、脳の働き等々不思議に満ちています。一つの受精卵が進化の歴史をたどり人間として生まれるには、両親やご先祖様なしに存在しえませんし、すべての物質をつくる元となる元素たちは、星が超新星爆発したときに「星のかけら」として宇宙空間にばらまかれたもので、人間も、その「星のかけら」が集まってできていること、太陽はじめ自然界から無償で与えられているもので生かされていることに思いが至ると畏怖の念を感じないではいられません。
日本の共同社会は、人間と自然、生者と死者で営まれ、人間だけの社会ではなかったそうです。「コミュニティ・共同体は道具でなく、それ自体を目的とし、祈り・願いを介在させながら、自分たちが生きる社会を可能な限り自分たちの等身大に変えてゆく行為こそが巨大なシステム社会を空洞化させていく道をつくりだす」内山節さんの本にありました。
生きることは、自分という作品を創り続けること。生きること・働くこと・暮すこと…いのちが喜びにあふれて生きるにはどうあればよいのでしょう。ロケット博士の糸川英夫先生は「命は何のためにあるか」という問いに「地球上に人間が60億いるといわれますが、私は、人類は60億で一つの生き物と考えています。一人一人が、人類という生き物の細胞の一つなのだから、大きな繋がりの中で生かされていることに気付くとき、命の意味を知るのでしょう。だから命は、自分の為に使うのでなく、人のために使うときすべてがうまくいくようです」と言われ、感性論哲学の芳村思風先生は、異和感を感じるのは、その解決策を自分が持っている証であり、そこに使命があると言われます。「あなたがこの世で見たいと願う変化に、あなた自身がなりなさい」ガンジーの言葉を実践されている人が増えています。
参考図書「ローカリズム原論」内山節著 農文協刊
65号「命のバトン」
昨年末、今号のBeな人柴田久美子先生のお話を伺って間もない二月、父が満91歳で逝きました。年末から眠っていることが多くなり、年明けから、ほとんど食事をとらず、好きなカステラ、カルピスを口にすることも少なくなり水分補給の点滴で過ごすようになりました。次第に小さくなり、静かに眠っている姿を見ていて、食べなくなるというのは、旅立つ準備で、樹が枯れるように人も枯れてゆくのかも知れないと思いました。点滴も体が受け付けず、むくみが引かなくなった時「心臓に負担がかかり苦しいと思います。点滴を止めると2~3日ですがどうされますか?」とのことで点滴を止めて頂きました。
時折、顔を見に行くことしかできませんでしたが、主催するセミナーが4日後にあり、「迷惑をかけたくないので、土曜日までがんばってね」と、声をかけていました。その4日目、セミナー終了近くに、いつもついていた妹から、「急変したので、できるだけ早く来て」と連絡が入りました。片づけも終え、車で向かおうとした時、息を引き取ったとの知らせ。穏やかに眠っているような父に、感謝を伝えました。柴田先生のお話を伺った後に、見送ることができ本当に有難かったです。厳しく怖い父でしたので会話らしい会話の記憶も、手を握った記憶もありませんが、ほとんど意識がないように見える時、手を握り話しかけ、息を引き取っても温かみの残る父に別れを告げることができました。
柴田先生は、子供の頃、臨死体験され、死は魂の交流の場と言われます。京都大学のカール・ベッカー教授から「日本は急激に死を怖れる国になった、死がすべての終わりでないことを昔の日本人は知っていた。日本の死の文化を取り戻すため体験を伝えなさい」と励まされておられるそうです。最近になり臨死体験された方や、前世を記憶している子供たちの話しが多く広まるようになり、今の身体で生きるのは一回限りでも、魂は死なないことや、袖触れ合うも多生の縁という古来からの言葉の確かさも言われるようになっています。
臨床医が生と死が行き交う日々、自身の体験を通し摂理と霊性について書かれた「人は死なない」に「核家族化が進み、看取ることが減り、生老病死を間近に見ることがなく育つ人が増えたせいか、入院すれば死から逃れられると思っている人が多い。…寿命がくれば肉体は朽ちるという意味で人は死ぬが、霊魂は生き続けるという意味で人は死なない」と書かれ、良心について書かれた文章に共感しました。「本能的に否定する悪行。その本能が良心、又は良心の言葉として受ける直感であり、良心は人が現世で生きていくための目標となる摂理の声であり、その声に素直に耳を傾けて従い、あるがままに生きていけば良い。我々は摂理によって創られた自然の一部であり、摂理によって生かされている」どこから湧いてくるか分からない良心、それが魂の声ではないでしょうか。
柴田さんは、「ただ生きること、あるがままの存在そのものが素晴らしいということを幸(高)齢者の方々から身を持って教えて頂いた」と言われます。生きるとは、死に向かって進むこと。老いや死が敗北であったら、誰も、人生が失敗になります。「死の意味は、魂を受け渡し、それを人類の進化につなぐ新たな旅立ちであり、魂を使い捨てにせず、しっかりいのちを引き継ごう」と柴田先生の著書にありました。
死は、生きている人に限りがあることを教えてくれるものであり、生は長さに価値がある訳でも、成功することに価値がある訳でもなく、いのちある間は、あるがままに懸命に生ききることが、バトンを渡してゆくことではないか、そう思えます。
真の宗教とは真に生きること。自分の魂と善良さと正義のありったけを込めて生きることである・・・
アインシュタイン
参考図書「いのちの革命」柴田久美子著 きれいねっと刊
「人は死なない」矢作直樹著 バジリコ㈱刊
「人は死なない 」書評
66号「生きる力」
今回のBeな人、飯尾裕光さんに初めてお目にかかったのは、昨年のセヴァン・スズキさんの講演会でした。準備の時の動きも、お話もパワフルで、幼少期の自給自足暮しや、小学校4年生3学期に復学した時の衝撃から学ぶことに目覚めたお話等々に聞き入ってしまいました。インドでの除虫菊栽培指導や、会社での青空食農教室等々多彩な活動を展開されている飯尾さんに核となる思いを伺ったところ、「活動の原動力は、自分がどう生きたいか、それに尽きる。ちゃんとして生きたいだけ」とのこと。そんな思いはどこから生まれるのかと思いました。
「ヒトは“教育”によりはじめて“人間”になることができる。これが“人間の生物学”。
体は自然が創ってくれるが、心は10年生理的早産であるため適時・適切な養育・保育・教育により始めて成長するように仕組まれており、先ず3歳までに脳に眠る原始時代からの記憶、人類の歴史の記憶を呼び起こすようにスキンシップや絶対的な愛情で、感性=生きる力を目覚めさせる。4歳~10歳で好奇心・遊び、模倣(ごっこ遊び等)に夢中になり基礎訓練を通じて感性を仕上げ、内発的な知性につながる。10歳頃が社会的人間のスタートで、自ら学び知性を仕上げ、志や夢を持って問題意識的人生を生きる大人となる」。大脳生理学の井口潔先生の言葉は、飯尾さんの幼少年期をたどるようで、生き方の原点を垣間見せて頂いた気がしました。
現代は忙しすぎ、“いかに生きるべきか”という心の声が聞こえにくくなっていますが、感性は、何が楽しいか、嬉しいか、ワクワクするか教えてくれる人間の本性、生きる力であり、意志の強さは理屈を超えたところから生まれ、いのちから湧いてくる欲求・興味・関心・好奇心が強いほど理性が働き実現の方向に進み、理性だけでは意志の強さは生まれないと感性論哲学では言われます。「おむつなし育児」は、気持ちいい排泄を経験させてあげることを通し、体と心が気持ち良いと感じられる人間の土台を育てることと伺いました。気持ちいい身体体験を持っていると共感力が高くなるそうです。いのちの土台である感性を育むことの大切さを昔の人は、ひとつ、ふたつ~ここのつ―9歳までは神様の子で、10歳から人間になることを「つのつくうちは神の子」といった言葉で表現したのでしょう。
脳が全能であると思いがちですが、神経伝達物質の多くが腸で作られ、皮膚にも多くあります。「体を鍛えると自分をより細かく深く見る力、客観的に自分を見る力が発達し、自分の本性を新たに発見するようになり、人生の可能性と真の願いを選択する力、 ビジョンを拡げる新しい観点を持つことができるようになる。」夢や志を持っていても、丹田力が弱いと実行力が湧かないから鍛えるように、とヨガでいつも言われます。
「日本の伝統芸能・武術は、身体、人間の智恵が凝縮されており、丹田が鍛えられ軸が形成されると自在性ができる」能を稽古をされている方から伺いました。「どんな趣味でも稽古三昧の反復練習は、身体の仕草の仕込みで、自然をいかに体現するかの営みであり、身体を通じて自我から遠ざかり、自然(神)の声が聴ける心境になるところに人間完成の姿がある」と井口先生が書かれていますが、力が抜け、筋肉が緩み、詰まりのない状態になると受信能力が高まり、無意識の世界とつながり感性の世界に入るそうです。
廃食油で世界一周された山田周生さんから伺ったお話が心に残っています。砂に囲まれたサハラ砂漠の中で、自分が風であり、空気であり、砂粒になると、抜け出せないように思えた砂漠の中で進むべき道が1本見えるそうです。受け入れ、感謝し、許すことの力と難しい問題ほど足元に答えがあるので、目の前の事に一生懸命になることと言われました。
持っている宝を掘り起こすのは身体を通して。右脳と左脳、心と身体を統合し、自然の理法に添って生きる道が足元にあります。
参考図書「人類が向かうべき進化の方向は『無の境地だった』井口潔 ヒトの教育の会編
「身体の言い分」内田樹・池上六朗著 毎日新聞社刊
67号「手入れすること」
今号のBeな人、中村武司さんと初めてお目にかかったのは、ダム建設の為沈む村で解体される家があるので活かせるものがあれば、と誘われて三重県に行った折でした。太い梁のしっかりした民家、掃除して風を通せば土壁の木造建築は100年持つと言われますが、どんどん壊されていました。それを目に、樹が育った歳月、暮された人たちのさまざまな思い出も跡形もなく水底に沈むのかと思うと切なくなりました。
中村さんが、危機感を覚えておいでの2020年施行予定の改正省エネ法の発端は、4年前の東日本大震災の原子力発電所事故で、よりコントロールされたエネルギー政策が必要になり、住宅も基準適合義務化が求められてきているそうです。土壁の断熱性能は低く目標数値に届かず、外部と接する壁や天井などは工業繊維系の高性能な断熱材でくるみ、窓も極力小さくして日射しの侵入を抑制することや、熱エネルギーを逃がさないつくりにする指導で、ビルのような密閉された空間の中でエアコンを使って温度管理することが、住宅の中でも標準化され、夏も冷やされた空気をいかに外に逃がさないかという暮らしが推奨されようとしているのだそうです。
我が家は集合住宅の一室ですが、ベランダに敷いたすのこで照り返しを防ぎ、置いた植木鉢と、目の前の葉を広げた大きなケヤキのお陰で、冷房なしで暮らし、年中窓を開けています。差し込む光に、頬をなでて通り抜ける風に季節の移ろいを感じ、風鈴や揺れる暖簾に涼を覚え季節を味わう楽しさは格別です。電気ありきで家庭までも管理され、自然と隔絶した暮らしになると日本人の特質と言われている繊細さ、智恵、風情が育つ基盤が失われはしないでしょうか。
もっと、自然の恵みを活かして暮せないかと思っていた矢先、「エクセルギー(エネルギーや物質の拡散能力)」を活かした暮しについての記事に出会いました。身体は小宇宙、住まいは中宇宙として捉え、太陽の光は光のまま、風は風のまま豊かな資源で、自然の恵みをそのまま活かすことで、電気やガスといったエネルギーをほとんど使わず快適な暮らしを実現するというエクセルギーハウスは、地域の自然のいとなみを良く知り、活かし、エネルギーを使わない暮らし方だそうです。
微生物や炭、太陽の光を活かした建物、チーズ作りで、世界のコンテストで金賞を取っておいでの共働学舎新得農場の宮嶋さんは、「自然と一体になっている方が高い質を生みだせる」と言われ、朝日と夕日が刻む新陳代謝のリズムに沿って暮すことは、日々を豊かに暮らすための必須条件と言われます。
『人間は自然との折り合いが必要で、その絶妙なバランスを手入れと呼び、日本の田や里山風景となっている。』という養老猛司さんの文章に、二宮尊徳さんの言葉を思い出しました。人と自然、人と人、強い人と弱い人が互いに幸福になるにはどうすればよいか考え詰め、出た答えが、『自然に半分従い、半分は人が工夫、対策することで、自然と共に、豊かに暮らせる。自然を良く見ると必ず発見がある』というものでした。美しい里山も棚田も、古民家も長年月、人が心をこめ、手入れした賜物です。
養老孟司さんは「都市化し、知識優先の世界は、何でも頭で考え、ああすればこうなるという風に解決できると思いこみがちだが、お化粧であれ、子育てであれ、どうなるか分からなくても毎日とにかく手入れするというのが日本人の生き方。意識偏重から抜けるには、波、地面、虫、1本の木何でもいいから、人間が意識して作ったものでないものを1日15分でも見るようにすること」と言われます。身体も、家も、何であれ手入れすることでかけがえのないものになります。心をこめて手入れし、自然のリズムと共に暮らしたい。
参考図書「手入れという思想」養老孟司著 新潮文庫刊
「いのちが教えるメタサイエンス」宮嶋望著 地湧社刊
「エクセルギーハウスをつくろう」黒岩哲彦著 コモンズ刊
68号レポート「いのちの対話」
「身体は、愛と調和の場― 西洋医学は、病気を悪いものとして倒そうとする戦争の考え方と同じで、自分そのものだった筈の細胞を敵として体を戦いの場とみなすのに対し、非西洋医学は、なぜ体が不調和になっているか考え、自分を調和の場とみなす――病気やからだに対するとらえ方を「戦いの場」から「調和の場」へ変える事が大切で、それが外なる調和を生む」今号のBeな人、稲葉俊郎さんのお話に深く共感しました。医療を広く捉え、宗教、哲学、美とさまざまな分野に精通し、お能も稽古され、日本の伝統芸能や茶道・華道・武道等の「道」には、身体と心の智恵が凝縮しており心身一如が身につくといった事等、いのち原点からのお話に引き込まれます。
からだの60兆個の細胞は交信しあい、呼吸により酸素を細胞内のミトコンドリアに運び、そのミトコンドリアがエネルギーを生産して私たちは支えられているからこそ深い呼吸が大切であり、皮膚、腸内にいるおびただしい量の微生物のお陰で、いのちは保たれています。画期的手法の導入で微生物の生態がいろいろ判明しています。地球の歴史の大半は微生物だけの世界で、酸素をつくったのも生物界をつくったのも微生物であり、ほとんどあらゆる生物との間に張り巡らしている共生関係と、微生物細胞の間も遺伝子と科学信号を介するネットワークで、環境の変化に適応して急速に進化し続けているとのことに、「微生物様は神様」と常に口にされる平井孝志先生から伺っていたあれこれが顕われる時代になったものと感慨深いです。
稲葉先生は、本来の対話は心・からだ全てを使って交流することであり、言語だけでなく、非言語、存在同志でも交流し、花・木・自然とも日々対話していると言われます。
植物の出す周波数を音に変換する装置から流れる植物の歌を聴きました。驚くほどのメロディの豊かさ、優しさ、聴いていると心が静まり、物言わぬ植物がこんな豊かな波動を発していることに感動しました。片方のセンサーは土に、もう1方を葉につけて変換器に繋ぎますが、うまくチューニングできず音が鳴らない時、片手を葉に添え、もう片方の手でセンサーを持つとチューニングできて歌い始めます。まるで脳である変換装置がうまく音(言葉)にできない時、人の手を介在させることで音(言葉)にするかのようで、ふと白雪姫プロジェクトの指談(ゆびだん)を思いました。
意識障害等で思いがないと思われる方も、介する人が障害のある方の指を持ち、左脳でなく、無意識の世界である脳幹を活性化させて指の動きを感じとることで、障害のある方の思いを言葉にしてゆく方法です。いのちあるものは振動し、共鳴しています。微生物も、植物も、人の細胞も信号を通じてやりとりしているのだから、信号を受けとめ合えるものと思いました。
大いなる自然とつながって暮していた昔の日本人は、虫・動植物にもいのちがあること生も死もひとつながりであることを感覚として持っていました。自然にふれると原始感覚が呼びさまされ、空・雲、鳥などを見ていると“いのちの記憶”を思い出せるそうです。自然に接したり、その知恵が凝縮されている日本文化を通じ、調和の世界に向かえることに喜びを感じます。
参考図書:「見えない巨人微生物」別府輝彦著 ベレ出版刊
「無意識の整え方」前野隆司著(藤平信一、松本紹圭、山田博、稲葉俊郎氏対談)ワニ・プラス刊
ブログ:「吾」http://blog.goo.ne.jp/usmle1789
69号レポート「共存在社会に向けて」
グローバル化した資本主義経済が行き詰まり混迷を深めています。場の研究所所長清水博先生は、文明の転換には人間の生存原理の転換が必要で、競争原理を乗り越え、地球における人間を含めたいきものが共に生きていく共存在原理によって「生きていく」形を実現させなければ、持続可能な存在は実現しないと言われ、共存在の居場所のネットワークづくりを助けつつ、新しい市場を開拓する共存在企業がネットワークを繋いでゆくことの大切さを言われます。
今号のBeな人、岸浪さんの講演を伺い、決まりもルールも上下関係もなく、人が幸せに生きられる社会を願って運営されているアズワンコミュニティの「おふくろさん弁当」は、「いのちの居場所」をつくり企業活動をされている共存在企業と思いました。いろいろな働き方があり、おせち料理だけ参加の人、月に1、2度の人、1週間休んで旅行に行く人、研修会に参加する人ありで、1か月20日以上勤務の人は60人中なんと7名。その日蓋をあけないとシフトがはっきりしないにも関わらず、業界では考えられない始業時間の遅さで、日に1000食のお弁当を作り1個からの配達、店頭販売もされています。アズワンコミュニティではお金にとらわれない暮しの実験もされていますが、「おふくろさん弁当」の社員さんは、コミュニティメンバーでない方が多い中、何でも話し合い、会社がお金の呪縛から離れ、こうだと良いなぁが形になっており、ここまでやれるの?、とカルチャーショックを受けました。
新潟の河田珪子さんが始められた「地域の茶の間」も、同じように人と人のつながりから安心社会を広げておられます。子供からお年寄りまで年齢、障がいのあるなしに関わらず誰でも参加でき、「初めての人に“あの人誰!”という目をしないこと」「台所以外ではエプロンをしない」等々参加された人が安心していられる工夫が随所にあり、ケアする人・される人でなく、共に場の利用者として、大切にされる中で生きる力や喜びを引き出されています。講演会で観た「実家の茶の間・柴竹」の様子は、誰が介護されている人かも分からず、笑いがあふれていました。
「おふくろさん弁当」も、「地域の茶の間」も、上下の関係でなく、人と人の関係があり、「お互い様の世界」、「いのちの居場所」となっています。ダライ・ラマ法王は「人生の目的は幸福を求めることであり、人は親密な結びつきを通じて、人生を生き抜く力や喜びを引き出し、その人の提供するものを通じて、人は他の人に生きる力や喜びを与える」と言われます。
環境心理学者が1年間お金を使わずに生活したレポートを読みました。「必要なこと・ものは、多くの人と小さな協力をしながら行ったので、新たに生まれた人間関係で以前より活気づき、人に頼ることができることを感謝するようになっていたので、プロジェクト終了後お金を使うことをためらった」とありました。「キャリアやお金を心配せずに動くと、周りの為にもなり、好きなことだけやって、新しい事を生み出すと経済活動に貢献する。“経済は人の為にあるべき”なのです」という言葉は、「おふくろさん弁当」の世界観でもあります。
本当にやりたいことに挑戦すること、社会の中で助け合うネットワークの力。大きな革命を待たなくても、日々の営みの中から願う世界に楽しく移行できる、そんな喜びを感じました。壁は、自分の中にありました。
参考図書「いのちの普遍学」清水博著 春秋社刊
「地域福祉の拠点」清水義晴著 (株)博進堂刊
70号レポート「生きるとは自分の物語をつくること」
遺跡写真で知られる井津建郎さんが始められたフレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダー(Friends Without a Border国境なき友人達)の事を知ったのは、2009年に現代表の看護師赤尾和美さんのお話を伺った時でした。1995年にFWABを設立。多くの方に無料小児病院建設の思いを語り、世界各地2000人に及ぶ人達の協力で病院開設。ポル・ポト政権下、医師の多くが虐殺された為、世界各国からのドクターがボランティアで診療、現地スタッフ教育にあたり、ハードとソフト両面の支援でカンボジアの医療文化の変革施設として育ち、予定通り2013年カンボジアの人に運営を渡されました。
いつかお話を伺いたいと思っていたところ、清里フォトミュージアムで開催中の井津さんの新作展で、チャリティライブがあり参加しました。物静かで柔らかな語り口で話された建設を思い立たれた経緯や、土地の借用期間延長をフン・セン首相に直談判されたこと、病院運営資金を10数年間募金・チャリティ等で調達し続け、ラオスでも病院建設を始められたこと等々に、ひとりの願いが持つ力に感動しました。
同じ頃読んだ、戦下のアフガニスタンで30年医療活動を続けておいでのべシャワール会中村哲さんの著書にも心が震えました。戦争と旱魃の中での活動を通じ、農村の回復なくアフガニスタンの再生はないと「緑の大地計画」を開始、百の診療所より1本の用水路を、と専門家は手をつけない過酷な灌漑工事を続け、足掛け7年で用水路全長24km、生まれた沃野に60万人以上住めるようになったそうです。死の谷と呼ばれたガンベリ沙漠横断水路と緑地帯の写真、「森では小鳥がさえずり、遠くでカエルの合唱が聞こえる」という文章に胸が熱くなりました。総工費14億円は、全て「べシャワール会」に寄せられた会費と募金によりまかなわれ、募金者年間二万人以上、現地と日本双方の良心の結晶、と書かれていました。
どちらも奇跡のような出来事に思えますが、お二人とも人間を超えた存在への敬虔な思いを持って行動されています。井津さんは、「遺跡は聖地・祈りの場なので敬意を払わなければいけない」と、三脚を立てる前に拝み、終わったら跡を残さないようきれいにされるそうです。中村さんは、「私たちが己の分限を知り、誠実である限り、天の恵みと人の真心は信頼に足る。・・・人としての倫理の不変性を信じる。そこに意思を超える神聖な何かがある」と書かれています。他の為に生きることは生物のもつ根源的欲求と言われます。畏敬の念を持つ無私の深い願いは、人の奥深い願いに共鳴して多くの支援者を生み、天意を動かし、不可能を可能にするかと思いました。
大きな衝撃を受けたとはいえ、井津さんが病院創設を思いたたれたのが少し不思議でしたが、子供の頃医者になりたかったというインタビュー記事を読み、腑に落ちるものがありました。昆虫少年だった中村哲さんをアフガニスタンと結んだのは昆虫と山だそうです。夢や願いは、伏流水のように奥深くを流れ、湧水が地表に噴き出すようなものかもしれません。「さまざまな人や出来事との出会い、それに自分がどうこたえるかで行く先が定められてゆきます。個人のどんな小さなできごとも時と場所を超えて縦横無尽、有機的に結ばれています。そこに人の意志を超えた神聖なものを感ぜざるをえません。」と中村さんの著書にありました。生きるとは地球を舞台に、自然や、だれかと関わりながら、自分の物語をつくりながら続ける旅のようです。
「内なる直感を信じ、自然との一体感を取り戻した時、自然の英知が自分のものとなる。一人ひとりの中に変化を起こす力があるからこそ責任がある」アービン・ラズロー
参考図書:「天、共に在り」中村哲著 NHK出版刊
「ぼくたちは今日も宇宙を旅している」佐治晴夫著 PHP研究所刊
71号レポート「時が紡ぐもの」
十数年前、鶴見和子さんと中村桂子さんの対話まんだら「40億年の私の生命」を読んで以来、生命誌にとても惹かれています。「人間も自然の一部である」という考えに基づき自然・生命・人間を大切にする生き方を描いたという生命誌研究館館長、科学者中村桂子さんのドキュメンタリー映画「水と風と生きものと」上映会があると知り出かけました。
「すべての生きものが38億年と言う時間がなければ今、ここに存在しない。生きものは時間が作るので、生きものを壊すことは、それが生まれてくるまでの長い時間を奪う」ひとも、植物も動物も、地球上の生きものとして祖先を一つにしており、38億年の歴史を持つ、つながりの中にあることがゲノムの研究から言えることが嬉しく思われました。
以前は、虫もヘビも苦手でした。けれど雑木林にしばしば出かけていろいろな虫等と接するうち、少しお邪魔させてください、と言う気持ちが強くなりました。映画でクモや、イチジクの中に共生するハチを観て、なんとすごい仕組みでいのちをつないでいるのかと、畏怖の念と、愛おしさがあふれ、観終わった時はすっかり仲間気分でした。
今号のBeな人、高月美樹さんの手帳「和歴日々是好日」は、日本文化の引き出しのようです。季寄せは常に自然と一体になることを「美」と感じてきた日本人の価値観が凝縮されたもので、森羅万象に畏敬の念を抱き、万物に神が宿ると考えた「八百万神」と表裏一体をなすものだそうです。「聖(ひじり)」の語源は「日知り」と書く大和言葉と言われ、天候が読め、種まく時期や採る時期を風の匂いや、雲の動きなどで判断して身を守る術を伝え導いた人とのことだそうです。自然との一体感は、五感が大切で、理性や想像力では、色や匂いという感覚的性質にたどり着けないそうですが、手帳を読んでいると日本人がどれほど深く自然と関わって生きてきたかに驚かされます。
生きものにとり、眠ったり、食べたり、歩いたりする日常が最も重要で、生きることは時間を紡ぐことであるので、手を抜くとか、時間を飛ばすことは、生きることの否定になりかねないと中村桂子さんの本にありましたが、現代は、食も、身体を使うこともなおざりにされて、地に足がつかずふらふらして倒れやすいとか、転んだ時に手をついて支えられず、顔から転ぶので鼻を骨折する子がいるとも聞きます。使わないでいると身体は不要なものとみなし機能が失われます。生きる上で大切な五感、しっかり立つことさえも失いかねない危惧を感じます。
北海道美瑛の天文台で、佐治晴夫先生に望遠鏡で太陽を見せて頂きました。微かに見えるお粥がふつふつするようなものは、固い太陽の中心から7000年かけて出てきた光の赤ちゃんが生まれ出るところだそうです。心が震えました。一匹のアリもヒトも137億年前に、一粒の光から生まれ、何度も枝分かれしながら進化を繰り返し、今ここにいるという事実を教えてくれるのは現代科学によって語られる宇宙論とのこと。「宇宙のひとかけら」から生まれたわたしが、今、7000年前の光を浴びていると想うと厳粛な気持ちになります。
山元加津子さんの映画「銀河の雫~はじまりはひとつ」は、心の奥から温かさがこみ上げる映画でした。自然から生まれ、自然に還ることが当たり前のネパールの人達「みんなひとつで、あなたは私かもしれないし、花かもしれないし、鳥かもしれない。空かもしれない。目の前のものやことや人を大切にすることが大切と、私たちは小さい時から学んできました」語られる言葉、笑顔が、みんなつながりあっていることを思い出させてくれる映画で、ほんとの賢さ、豊かさは何かということも考えさせられました。
気が遠くなるような長い時を経て、今ここにあることの不思議。「“人間は生きものであり、自然の中にある”という当たり前のことを基本に暮らすというのが生命誌の求める社会」と中村桂子さん。それぞれを尊重し、生きることが、共に生きられる社会に続く。足元に道があることをいろいろな方面から教えてもらえます。
「あなたも素晴らしい、私も素晴らしい。どうして争うの? 受け入れればいい。みんな受け入れればいい。最初はひとつ。同じだよ 映画“銀河の雫より”」
参考図書「科学者が人間であること」中村桂子著 岩波書店
鶴見和子対話まんだら 中村桂子の巻「40億年の私の生命(せいめい)」藤原書店
「からだは星でできている」佐治晴夫著 春秋社
72号レポート「共感する力」
今号のBeな人、ウォン・ウィンツァンさんが平和への願いを込め沢山のお友達のボランティアで創られたチャリティCD「光を世界へ~Yes all Yes」のコンサートに行きました。湯川れいこさん、鈴木重子さんはじめ長年のお仲間や、コーラスグループの人達の思いと友情にあふれたステージでした。「Yes all Yes 平和の鐘を鳴らそう Yes all Yes 光を世界へ贈ろう、Yes all Yes すべては愛だと気づくだろう」繰り返されるフレーズが心に響き、胸が熱くなりました。
「戦うことを止めると痛みの中で誓った 平和を皆で望めば きっと叶うだろう」と言うフレーズに浮かんだのは、国民の3人に1人が命を落としたと言われる中、報復せず独立した東チモールのドキュメンタリー映画「カンタ!ティモール」。「大虐殺から20年経ったルワンダは、モニュメントにNever Againと刻まれ、人も優しく街も綺麗でピースフルで、20年間人々が憎しみ合わない努力をしてきたことが何よりも素晴らしい」―ルワンダのお仲間と共に素敵なアクセサリーを制作・販売されているBASEYの吉井さんから伺いました。私たちは、怒りに身を任せることも、平和な世界を創ることもできます。
「人類は愛に支えられて、ようやくここまで繁栄してきたのではないでしょうか。視点を変えるなら、この世界は愛に溢れている」とウォンさんがブログに書かれていますが、人間は未成熟で生まれ、世話してもらわないと生きてゆけませんが、幼い頃お乳をもらい世話をされ、欲求が満たされた時代に感じた贈与は良いものという仕組みは消えないので人は愛し合うことができるのだそうです。そして、他者の喜びを自分の喜びと感じ、悲しみを悲しみと感じられるのは、脳にある共感する細胞と言われるミラーニューロンの働きと言われ、自分が体験していなくても、同じ反応が脳内で起こり、自分が体験しているように感じるからだそうです。
「共感能力・ミラーニューロンと、非常に重要な関係にあるのが、物真似やままごと遊び。また、音楽を伴う踊りは、共感能力を高めるうえで、非常に重要な働きを持っている文化」という一文を読み、伝統の祭りを取り上げた番組を思い出しました。お年寄りが子ども達に笛や太鼓の基礎、所作を教え、一人前になると采配を振る機会が与えられ、地域の人達で守り続けておられました。小さい頃から大人と共に創りあげてゆくものがある中で、身につけることの多さを思いました。段取りをつける、気持ちを察することの苦手な人が増えていますが、小さい頃から遊びやお手伝いの体験が少ない上、便利快適を追う社会で、手塩にかけることが減り、社会に人を育てる感覚が希薄になり、さまざまな経験を積み重ねて成長してゆく機会が持てないことと関係あるでしょう。いのちは手抜きができず、心も様々な体験の中で育まれ成熟してゆきます。
場の研究所の清水博先生は持続可能な地球をつくるには、“いのちの与贈”がある居場所を創ってゆくことが大切と言われ、与贈のことをマザーテレサの言葉を引いて説明されていました。「愛そのもののために何かをするべきで、何かを得るためにするのではありませ
ん。見返りを期待するなら、それはもう愛ではないのです。本当の愛とは無条件で、何も期待せずに愛するということだからです。」『居場所』とは、細胞に対する個体、人間に対する家庭、企業、地域社会、生態系、地球などのことで、生き方を変えれば、『居場所』の方もそれに応じて変わり、また『居場所』が変われば、生きものの生き方もそれに応じて変わります。
ウォンさん達のコンサートは愛にあふれたステージで、聴衆がそれに共鳴・共感してコンサートホールは何とも言えない温かさに満ちていました。「この世界に生きとし生けるもの命たちへ、この音楽を贈ります」というウォンさんの願いを確かに受け取りました。
参考図書:生命誌年間号vol.77-80「ひらく」中村桂子編 新曜社刊
場の研究所清水博先生ブログより
73号「わたしたちは地球家族」
今号のBeな人、倉田浩伸さんは生きるとは何かを見つめられ、インフラ・産業・人材、何かも失ったカンボジアの人々が平和に暮らすために本当に必要なことを考え、戦争をしなくてすむような社会づくりには、安心して暮らせる産業育成が必要との思いで、内戦により壊滅し、記憶から消されていた世界一美味しい黒胡椒栽培を伝統農法で取組み、2011年にはカンボジアオーガニック農業協会よりカンボジアの産物初の「国内オーガニック認定」取得、胡椒を通じカンボジアの産業を育成し続けたいと頑張っておられます。
長年紛争地支援をしてこられた方が、関わり始めた当初よりも紛争が増え、シリアを見ていると辛くてたまらないと言っておられました。放映される逃げ惑う人々や、美しかった都市の面影もない瓦礫の山に、文明は発展しているのかと暗澹たる気分になりますが、戦争は自分の行く手を阻むものを破壊しながら占領地を拡大し、その地域の社会・文化・歴史・言語・記憶といった基層文化を破壊することで地域支配をするという文章を目にしました。日常にも様々な紛争の種があふれており、自分の中にもそれはあります。
どこに行っても同じブランドショップ、大型ショッピングモール、街は同じような顔になり、減る一方の商店、小企業。雑木林も、風情ある町並みもどんどん消えています。バブルの頃から社会のまっとうさが失われ、利益のためになりふり構わない強いもの勝ちの世界が加速してきました。一昔前は、余人をもって代えがたい仕事ができるようになりなさい、と励まされましたが、今求められるのは即戦力。プロセスでなく結果、できること・強い事が正義で、言葉が単純化し、心の機微や微妙なニュアンスは表現されにくい社会。
子ども達は、生きる上で大切なことを片隅に追しやられ、小さな頃から競争社会にさらされ、いのちを消耗させています。不登校の小中学生は12万人に及び、子供の自殺は本当に痛ましいです。小さな違いを標的にするいじめは、大人の世界の反映でしょう。物事を原点から見つめる余裕を私たちは見失っています。
森の木々は、それぞれ自立しつつ地下のネットワークで協力し合っていることが実験で分かったというレポートを読み嬉しくなりました。母なる木は異種間でも、若い木々や、弱っている木に炭素を送り、自分の根を広げすぎないようにして世話をしているそうです。まさに自立連帯、やはり自然に学べです。森の大規模な破壊は水循環に悪影響を及ぼし、野生動物を追い詰め、森の単純化は山火事が起こるなど壊滅的になります。
ミツバチの減少も世界的な問題です。38億年前に一つの祖細胞から生まれ進化したいのちが、地球上で絶えることなく続いているのは多様性のお陰で、いのちは信じられないようなつながりで関わり合い支えあっています。経済か環境かという問題ではなく、人間だけがそのつながりから外れて生きられる訳がありません。
「買物で支払うのは、お金でなく貴重な時間なのです。自覚を持ち、助け合えば世界は変えられる。世界から過酷な貧困を取り除き、浪費を止めよう。」とはウルグアイムヒカ大統領の言葉ですが、誇りを持って生き・働くことを選ぶ人、地域に根ざし農的暮しを始める人、エコビレッジや、新しい会社や流通の模索、地域通貨等々、持続可能な自然と共に生きるローカルな暮しへ移行する人達が増えています。
生命誌研究者中村桂子先生がドキュメンタリー映画「水と風と生きものと」の中で「今分かっている生きものの知識を総動員して新しい文明をつくるとき。経済万能、グローバリズムは限界で、宮澤賢治の言う、本当の賢さ、本当の幸せについて考え、自然と向き合って技術を使おう」と語られたことに深く共感しました。
「人間は他の動物と違って1種類しかない、ヒトって本当に1種類!ヘイトはありえない」中村桂子先生の言葉が響きます。このことが当たり前になれば、どれほど平和になることでしょう。みんな地球の仲間です…。
参考図書:「戦争という仕事」内山節著 信濃毎日新聞社刊
「いよいよローカルの時代」ヘレナ・ノーバーグ=ホッジ+辻信一 大月書店刊
74号「循環者になろう」
昨年末、お釈迦様の足跡をたどるインドの旅に出かけました。真夜中にコルカタのホテルに着きました。翌朝、移動時間まで少し散策しようとホテルの門から出かかった時、目に飛び込んできたのは道路の向かい側の建物の塀に掛けられたブルーシートと路上生活をされている人々でした。瞬間、見てはいけないものを見てしまったという気持ちに襲われ、踵を返しました。ホテルで心地良く眠り、美味しい食事をした私。物乞いの子どもや大人のいる道路をはさんだ天と地の違いに衝撃を受け、その前を通り抜けて散歩することができず、しばらくホテルにいました。
さまざまな格差を知識としては知っています。けれど、その違いの中に身を置いたのは初めてで、見過ごすことは不道徳、という思いに駆られました。頭がぐるぐるするだけで何も考えられませんでしたが、少なくとも足るを知り、全体で分かち合う公平な世界を目指さなくてはと思いました。
サティシュ・クマールさんの師匠であり、ガンディの後継者と言われた、ビノーバ・バーべ師は、最貧困と言われる人々に寄り添い、「土地があれば食べ物を作れる」という訴えに、大地主達と共に話し合い、所有者が自主的に貧困層へ土地の贈与を行う土地寄進運動(ブーダーン運動)が1951年からスタートしインド全土を歩き450万エーカーの土地を譲り受け、分け与えられたそうです。愛情やおもいやりはすべての人間の心にあふれており、誰もが与え、贈るべき何かを持っている、だから与えよう、贈ろうと語られています。
インドには自分が社会から受けた恩に報い、借りを返して自由になる「ダーナ」と言う考えがあり、見返りを期待しないで差し出すものなら、なんであってもそれはダーナ。贈与はチャリティや慈善、施しでなく、分かち合い(シェアリング)により本当の意味での社会の豊かさが生まれると言われています。
今号のBeな人、藤本倫子さんは、70歳から恩返しの人生と思い定め、つつましく暮しつつ、危機に瀕した地球を未来に渡さないよう、自費で「環境保全活動助成基金」を立ち上げ、酵素の研究をされた結果生まれた生ごみ処理機「くうたくん」や、21種のアミノ酸による酵素活性技術で消臭&植物の生長促進液「銀の雫」等を開発されました。魚市場のニオイが消えたという抜群の消臭力があり、お風呂にいれると浴槽が汚れにくく、残り湯で掃除・洗濯と余すところなく使い切れます。今の人は手をかけることが嫌いだけれど、循環社会を創るには、一人一人が環境親善大使になった気持ちで手をかけることが大切と言われ、助成基金は子どもエコクラブの活動資金にも活かされ、まさにダーナを生きておられます。
現代社会の不平等、対立、闘争に基づく社会構造が平等と助け合いに転換し、持続可能な社会に向かうにはどうあれば良いのでしょう。自分が作った訳でない土地、空気、水、資源は、すべての生きとし生けるものとの共有財産で、未来から、森や資源を奪う権利は私たちにはありませんが、後始末を考えず汚し、壊し、地球と未来につけを回しています。
ビノーバ師が目指されたのは土地の贈与を通じて、愛と共感に基づく社会を創ること。愛と共感でつながることにより、初めて物事を根本的に変えることができると常に語られていたそうです。人もいきものであり、すべての生きものと共に生きていることが当たり前になれば共感しあって生きる社会を創ることができるのではないでしょうか。
フェアトレードの輪は世界中に広がり、様々なシェアする暮しも広がっています。消費するだけの消費者でなく、生活のあらゆる場面で自然や人とのつながりに目を向け、生態系の回復や平和を願って暮す循環者として生きる輪の広がりを願っています。
参考図書
「怖れるなかれー愛と共感の大地へ」ビノーバ・バーべwith サティシュ・クマール
編辻信一・上野宗則 ゆっくり小文庫
75号「共に生きることは原点」
75号のBeな人、寺島純子さんの会社オフィスエムは創業30年社員4名の出版社。多彩で良質な本を手掛けられ、昨年出版された「信州の料理人、海を渡る。」は世界唯一の料理本のアカデミー賞と言われるグルマン世界料理大賞ローカル部門でグランプリを受賞されました。味のあるビルで、オフィスエムの他、ブックカフェやキッチン、ギャラリー&フリースペースをされています
2016年から、故郷信級(のぶしな)で限界集落なんかじゃなく、限界を突破した未来集落をめざし、誰もが輝ける多様性に満ちた場所にしたいとスタートされた“のぶしなカンパニー”の食堂「かたつむり」初縁日に伺いました。80代現役、70代は若手、住人の半数が一人暮らしだそうですが、山菜やタケノコを持ってこられる人、コーヒーを飲みに、仕事を終えビールを飲みに、神楽の練習帰りの若者が買物に寄って立ち話と、村唯一の食堂は、入れ代わり立ち代わり老いも若きも中年も混ざりあって和やかでした。
若い移住者たちを惜しみなく応援されているという82歳の炭焼きチカオさんは、出稼ぎに一度も出ず、蚕、山羊も飼い何でも自家製。「大きな災害や、社会が大きく変るまで分からないかもしれないが助け合い、シェアすること、コミュニケーションを取ることが何より大切」等々、体験に基づいた言葉の一言一言が胸に沁みました。
今は廃校になった小学校は、水道も水源もなくプールがなかったそうですが、他の地域の子たちと同じ体験をさせてあげたい、と村人総出の作業で水源豊かな向かいの山から、学校のある山へパイプを引き、サイフォンの原理で水を上げてプールを作られたと伺い仰天しましたが、考えれば一昔前は、ない物は自分で作る、直すが当たり前でした。自然と共に、恵みの中で生きる術を持ち、地に足をつけて暮す人の確かさをまざまざと感じ、知識で語ることの薄っぺらさを羞じる思いでした。
『人類の人間としての出発点は「食物の共有」と「共同保育」それによる「共感力」で、一緒に食べる中から共感・同情と言った大切な感性「人間らしさ」を育み、集団で助け合うことで生きる場を世界各地に広げていった』と、人類の足跡をたどる旅「グレートジャーニー」の関野吉晴さんとゴリラ研究者山際寿一さんの対論「人類はなにを失いつつあるか」にありました。体を進化させない人類を極北の地でも暮せるようにしたのは「針の発明」だったそうです。衣食住は遠い祖先からの知恵の集積です。貴重な布はぼろになっても活かし切り、自前で食糧生産ができるようになり、種採りして命を繋ぎ、家は手入れして大切に住み継いできました。生きていくことを阻害するものへの対抗手段が文化であり、年寄りから文化や慣習、技術を学ぶことが品位を身につけることだったそうです。
「現代人はひとりで生きているつもりになっているが、電線・電話線・ガス管等沢山の線や管につながれた云わばスパゲッティ症候群状態」との一文に、便利快適を追う生活に疑念を持ちつつテクノロジーに依存している我が家、何かあっても生み出せない都会のもろさを痛切に感じました。自動で蓋が開き、立ち上がると自動排水するトイレが増えていますが、色やニオイで健康チェックもできません。スイッチポンで事足りる暮しに、足腰が弱り、しゃがむ事が出来ない人も増えています。使わないと機能を失なう廃用症候群は身体だけでなく、共感も、生身の体験と時間が不可欠で、孤食が進み、人間の共同体の原点にある家族が無くなると、人間らしさを育む場を失うことになると危惧されています。
グローバリズム・経済優先で失ったものはいろいろありますが、自然には依存しているけれど、文明の利器に依存せず自分で生きる力を持ち、助け合う人間本来のあり方を信級で感じました。人間の原点を忘れず、丁寧な暮らしを取り戻し、望ましい未来を創ろうとしている人たちが増えています。
参考図書「人類は何を失いつつあるか」山極寿一・関野吉晴対論 東海教育研究所発行
「退歩のススメ」藤田一照・光岡英稔 晶文社刊
76号「未来を照らしあおう」
今号のBeな人、岩崎靖子さんが仲間と共に立ち上げたハートオブミラクルは「地球上のすべての命が、喜びにあふれて生きていける未来を創りたい」との想いで映画を配給され、自主上映の輪が国内外に広がっています。初配給映画は、山元加津子さん(通称かっこちゃん)のドキュメンタリー映画「1/4の奇跡―本当のことだから」でした。
それは、宇宙に感謝の量を増やしたいとの願いで映画製作を始められた入江冨美子さんの初監督作品で、元特別支援学校教諭だったかっこちゃんの病弱養護学校の生徒であり、親友だった笹田雪絵さんとの約束の映画。雪絵ちゃんは、MS(多発性硬化症)という難病でしたが、ありのままの自分が好き、といつも前を向いておられました。症状が進んだある時、かっこちゃんから難病や障がいに意味があることが科学的に分かったと聞き「そのことを世界中の誰もが知っているようにして」との言葉を残し天に還られました。その約束を果たそうとしている山元さんを撮ったドキュメンタリー映画です。
岩崎靖子さんの初監督作品は同じく山元加津子さんの「宇宙(そら)の約束」。それ以降、人が人と共に生きることで生まれる輝きを撮り続けられています。重篤な脳幹出血で植物状態と言われる状態になった友人・宮ぷーの回復を信じ、支え続けるかっこちゃんと宮ぷーの映画「僕のうしろに道はできる」。例え意識が戻っても機能は戻らないと言われましたが、今は、ご本人の頑張り、かっこちゃんや仲間のサポートに支えられ一人暮しをされています。医療の常識を超えた出来事と言われますが、「治るよ」というかっこちゃんの言葉を信じ、意識がなかった時期から撮影されたお陰で、多くの方たちの希望になっています。
“従業員を日本一幸せにする”事でV字回復させた支配人・柴田秋雄さんの映画「日本一幸せな従業員をつくる!」は、従業員の方々が、取引先やお客様を幸せにし、みんなが幸せになるホテルの様子に、優しさの力を教えられ励まされます。
その後、人は自然の一部であり、他の生きものと共に自然に暮らす事の大切さを伝える映画や、みつばちの絶滅危機を通して、すべての命がつながっている事を描いた「みつばちと地球とわたし」等、様々な分野でいのち深く生きる人達の姿を映像で伝えておられます。
2018kakkoワールドでの眼科・産業医の三宅琢さんのお話に心が震えました。薬や手術では治らない患者さんに寄り添い、視覚障がいとは目が見えない為に欲しい情報を得られない情報障がいで、欲しい情報を自力で得られるようにするのが医療と、患者さんが何に困り、どんなことがしたいか、どうすれば叶うかということに心を尽くされ、iPadやiPhoneを用いたデジタルビジョンケアで生活の質を高めるサポートをされています。
そのひとつ「Be My Eyes」という機能代行のお話に衝撃を受けました。視覚障がいの人とビデオ通話でつながったボランティアの人が、要望に応じ視覚障がいの人々の目となり、賞味期限を読んだり、探しものや、買物のサポートを随時無償でするもので、180以上の言語、100万人を超えるボランティアの人が登録されているテクノロジーと人々の絆を活用した仕組みです。安価な思いがけないサポートアプリも色々ありました。行き過ぎた科学技術を否定したくなるような思いに駆られたりしますが、進化したからこそ生まれている技術。それらは誰もが機能を失ってゆく高齢化社会の心の杖にも、光にもなると思いました。
「創造とは0を1にすること。それだけが人間にしかできない営み」と語られる三宅先生は「障がいを価値とする」働き方革命も起こしておられます。山元加津子さんは、「いのちは備わっている自分の力で回復し良い方に向かう。いろいろ教え合い、学び合いながら自分や自然の生きる力を強くしたい、みんなで命を太くしていこう」と講座も開催されています。
わたしたちは、みんなで一つのいのちを生きています。大切なことをみんなで教え合い、伝えあうことは、喜びあふれる未来への道を照らしあうこと…。
参考図書:「人生はいのちからの贈り物」岩崎靖子著 ㈱トーヨー企画刊
77号「自然のはたらきに添って生きる」レポート
今号のBeな人高田宏臣さんのお話を伺ったのは2018年10月のメガソーラーシンポジウムに参加した折でした。地形の意味を知ること、自然を見る感覚を育て観察することの大切さ、現代土木の限界等々大切な事ばかりでした。樹木の健康、後退する砂浜の理由、崩れない石組みの事等々、高田さんのブログは学ばせて頂くことばかりです。
山地に造られるメガソーラーの最大の問題は、自然本来の地形を、これまでにない規模で根こそぎ削って平らにすることで、自然の地形には意味があり、環境上、防災上の要の地が山頂部、尾根筋や谷筋で、かつては集落の裏山の山頂部に祠を置いて一帯を鎮守の杜として守り、水の湧き出す谷筋には龍神様を祀って、触れない場所を設けてきたそうですが、現代はそうした先人の叡智が忘れ去られ、水害・土砂災害を増幅させているとのこと。
環境の荒廃は、極端な水量変化に現れるとのお話に、よく出かけていた雑木林のことを思いました。古家の前は、ジメジメしていましたが、すぐ横にあったほんとに幅の狭い小さな湿地のような沢に砂防ダムが造られた直後から、みるみる土地が乾き、井戸の水位がぐんと下がり、大きな赤松が枯れてしまいました。小さな砂防ダムでさえこれほどの変化を起こすのですから、メガソーラーやリニアのような大規模工事により引き起こされる変化はどれほどかと、気がかりでなりません。
高田さんは、大地の再生や、森の再生等さまざまな環境再生を手掛けておられ、地形を壊さなければ再生可能で、菌糸と根がネットワークして、土中の空気と水の流れが改善され土の構造ができれば大地は目を覚ますように命を養う豊かな環境に自ら変化してゆくと言われます。手がけられた新潟市の海岸松林再生実験地では、大規模な機械作業も、資材も必要なく、林内にある枝等の有機物や土の置き換え作業で、防虫剤なしに松林は勢いを取り戻したとの文章に、自然本来の働きに添う力を知り希望が湧きました。
植物は地球と太陽をつなぐ環と言われます。地球上の生命すべてに作用し、人は生きる基本のほとんどを植物に負い、食べ物、空気、エネルギーのみならず、薬もほとんどが植物由来です。植物の生態の研究が進み、植物の根の先端は脳のニューロンに似た電気信号を作り、さまざまなデータ処理をしていること、知性があり、助け合って生きていること等々が明らかになっています。
数百万年前、樹木は菌糸の地下ネットワークと力を合わせて生きていく共生関係を結び、細い菌糸が進んだところに植物は根を伸ばして水やミネラル等を吸収し、情報をやり取りして、弱った木や幼木にも根を通して養分を分かち合って生きているそうです。一つかみの森の土の中には、地球上すべての人間より沢山の命が含まれ、ティ-スプーン一杯分の土に含まれる菌糸の長さは1kmを超え、これら全ての生物が作用して樹木にとりなくてはならない土壌を作っていると知り、土の中の世界のすごさとそのつながりを想像すると頭がクラクラします。
菌糸や根が張り巡らされ微生物がいっぱいの健康な大地で植物は育ち、樹は、水を吸い上げ蒸発させて雨を降らせ、大地や海に還ります。大雨の時1本のブナの木が集める水の量は、時に1000Lを超えて根本に水を集めて乾季に備え、森の土壌は大量の雨水を蓄える巨大な貯蔵庫。又、森はポンプの役割を持っており、海岸から内陸まで続いた森は、雲をもたらし雨を降らせますが、海岸の森が消えてゆくと、水分輸送が止まり内陸部の乾燥が進むそうです。大きな森が消えてゆくことの重大さに心がざわめきます。
循環の環の中にあらゆる生き物のいのちが関わりあっています。大いなる循環の中に生かされていることを忘れ、大地に、川に海に分解できないものを流し、経済優先で森を破壊することは自分の首を絞めること。「土が生命体構造そのものである。土の命を無視した民族は早晩、滅亡しています。生きものの集団としても民族が土の凋落と共に、その文明を消失するのは、我々と土の生命が一体だからです」平井孝志先生の言葉が沁みてきます。
参考図書:「樹木たちの知られざる生活-森林管理官が聴いた森の声」
ペーター ヴォールレーベン早川書房
「植物は知性を持っている」NHK出版
ステファノ・マンク-ゾ・アレッサンドラ・ヴィオラ
ブログ「地球守」https://chikyumori.org/
*植物に関する参考動画 スザンヌ・シマード
生態学者スザンヌ・シマードは、カナダの森での30年間に渡る研究で、木々はお互いに会話をしているという仮説を立て検証した結果を語ってくれます。
一見無口な彼らにも独自の言語があり、世界があるのです。
78号「みんなで みんなを支える文化」
今号のBeな人川村敏明先生は、精神医療のみならず、看取りや介護、子育て支援等、地域密着型医療をされています。長期入院されていた患者さんも、多くの人達の支援を受けて地域で暮らし、診療所の患者さんが界隈の雪かきをして地域のお年寄りに喜ばれ、いろいろな人が一緒に行う田植え・稲刈りは地域の恒例行事となり、石窯ピザ、音楽会、傾聴カフェ等々、暮らし支援は多彩です。
新潟の清水義晴さんが語られる長野県の限界集落、信州新町信級(のぶしな)のあれこれに、地域の在り方のヒントを感じられ、空気を吸いに行こうと、昨年実現した日帰り訪問の折に先生のお話を伺い何度も胸が熱くなりました。
信級は、水道も、信号も、自販機も、コンビニもなく、あるのは自然の色と音、何でも自分たちで作る働き者の人たち。農協の精米所をみんなでリノベーションして立ち上げた村で最初の「かたつむり食堂」は皆さんの憩いの場です。出稼ぎも行かず、何でも手作りして暮し、子供を養い、84歳の今も現役炭焼きのチカオさんに深く感動されてひとこと。「何十年もかけてできてきたウソがない実績が出ている指に圧倒的迫力を感じる。一言一言、生きてきた歴史の中から何が大事か、発言することに重みがある」ヒントの多い信級だったそうです。
「うちの施設は、ご飯の時間は大体決まってますがコースに乗せるようなケアはなく、普通の施設には通えない家から出るのさえ大変な人もやってきます。車で連れてこられた認知症のおばあさんに『ついでにお風呂入る?』と聞くと、『入る』と何年ぶりかで入った。― 訪問介護でもらった、おしっこで濡れたお札を持ち帰って洗濯して干して、というところからスタート。どこに足を踏み入れたら良いか分からなくても何回か行っていると、あそこに水たまりはないと見て、あとは気合で、エイッと座る…」、関係性を紡いだ結果のお風呂だそうです。
「誰もが、一人ひとりの物語があり、その人なりの輝いていた時代を持っている。相手をダメな人、どうしようもない人と見ている限り言葉は届かない。スタッフのお子さんの歌で送られて帰る景色が素晴らしかった」と、満面の笑みで語られました。
出産間近で困窮していた統合失調症の女性を、地元で、みんなで支えると決め、生後ひと月間、夜は川村先生の自宅で過ごし、日中はデイケアにベッドを置いて、スタッフやメンバーが見守り育てた赤ちゃんも今2歳。子育ても、アイヌの人が地域みんなで育てたように柔らかくつながっていればよく、「子育ては縄文式で」と話しておられるそうです。
「病者の子を不幸にしない社会は、誰もが安心して暮らせる社会。かつては、血縁関係を超えた関係が沢山あり、身の回りに起こる出来事と向き合い、何かあれば、誰かが、どこかが、引き受けたもの。支える網がないと人は追い詰められる。信級のように、一人ひとり逞しいけれど、近所も助け合って生きてきた暮しの原点のようなものが周りに無くなっているけれど、幼い時から、その人、親子が安心できる場が、町に、地域にある事が大切」と、みんなで見たい、ありたい世界を広げておられます。
べてるの家名物販売部長、早坂潔さんの言葉を本で読みました。入退院を繰り返されていましたが、「布団で寝て、ご飯食べて、ちゃんと暮らすと自分で考えたり悩んだりすることが少しづつできるようになって、今、しあわせ」だそうです。
「早く治しちゃうと何で苦労したか分からなくなるから、できればゆっくり治したいと思う時、その大変なときに何が大事かいろいろ気づくチャンスってこともある」と川村先生。強さを求める社会ですが、人は弱さを持っており、歳をとれば誰もが弱者となります。もやもやして座りが悪いことを大切に、弱い部分をどう使うか覚えることが大事と言われます。
弱い人間が生態系の中で生き残れたのは助けあったから。血のつながりのない赤の他人も助け、知識や知恵を共有して社会を発展させた「利他性」こそが、人間の人間たる本質だそうです。新型コロナで世界中が大変な状況ですが、様々に支援しあう動きも出ています。早く元に戻そうとしないで、深く感じ、考え、願う世界を創る機会とすることもできます。
「みんなで みんなを支える文化」は、懐かしい未来。浦河のひがし町診療所界隈や、「何にもないから何でもある」限界集落の信級に雛型があります。
参考図書「治したくない ひがし町診療所の日々」斎藤道夫著 みすず書房刊
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写真:信級田植え風景
79号「かけがえのない当たり前の日常」
今号のBeな人小松由佳さんのお話を伺ったのは、地球永住計画の関野吉晴先生との対談でした。世界2位の高峰K2に日本人女性初登頂とのプロフィールが信じられないような小柄で、やわらかな空気を漂わせながら話される内容に圧倒されました。山での体験、ヒマラヤを離れ、フォトジャーナリストとして取材する中シリアに魅かれ、平和な時代から、内戦が泥沼化し4人に一人が難民となり、人口の半分が生活を失っている状況を取材された日々は、昨年9月出版された著書「人間の土地へ」に詳しいですが、まるで何人もの人生が書かれているような内容に引き込まれました。
ユーモアをこよなく愛し、友人や家族と共に今を味わう、ゆとりの時間”ラーハ”が人生でもっとも大切で、豊かさそのものというシリアの人々。相互扶助が非常に強い、多くの友人・知人と生活を共にするコミュニティで、大家族で暮し、貯蓄や安定した仕事がなくても助け合って暮らすことができた内戦前のシリア。
内戦の激化で、多くの人が難民となり、培った経験・財産を失い、生活を失い、アイデンティティを失う中、失った最たるものは豊かな感情だそうです。働く自由、家族と移動する自由、何を食べ、誰に会い、どこに暮らすか…、そういった日々の選択により自分の生があるという実感。それこそが人間の命の意義ではないか、日常が崩壊し、当たり前の日常こそ、暮らしの本質であることに気づかれたそうです。
未知の土地で、難民として生きるための条件は、人のつながりをそこに築けるかどうか、コミュニティがあれば生きられるとのことに、限界集落の信州信級で炭焼きのチカオさんが、人が生きる上で大切なのは、シェアし、助け合うことと語られた事を思い出しました。
38億年前に生まれた祖先細胞から進化発展した生きものの一種である私達。「withコロナ時代への適応~人類学からの視点」と題したゴリラ研究の山極寿一先生のお話を伺いました。対面してコミュニケ―ションするのは人間の特長で、共感能力を高めるために“白目”ができ、相手の気持ちを推察できるようになり、共食による分かち合い、共同保育で共感力を高めてきたそうです。
人間の子育ては、仲間で力を合わせなければならなかったので、進化は強い社会的絆を結べるものを優遇し、互いの生存の為に信頼できる仲間、見返りを求めず助け合える関係性など、贈与を前提に人類はこの世界を生きてきたそうです。
小松さんのシリア人のご主人は、日本に来られ一人が担う経済的負担に驚き、動揺されたそうです。風土に根ざした様々な文化があります。SDGsは数値化できるものをゼロにする視点で、数値で表せない為に含まれない大切なものが文化であり、文化は体験と共感により体に埋め込まれていて、衣食住の中に反映されるというお話に深く頷きました。
幼子たちと接しておいでの人から、口にスプーンを持っていっても口を開けないお子さんが増えていることへの危惧を聞きました。大人が、「お口あ~ん」と言葉をかけ、やって見せて覚えてゆくように、幼児は表情を見て真似て、さまざまなことを身につけ、遊びの中で、生きる上で大事な直観力も養ってゆくそうです。大切な時期に、四六時中マスクをつけた人に囲まれ、触れ合い、喧嘩したりする機会も少なく過ごし、人間にとり基本的な能力を学びそびれないか懸念されている人も多いです。
感染予防はもちろん重要ですが、対面すること、共に食事をし、語り合い、触れ合う…、人間の基本的ないのちに関わる大切なことができないことで、長い歴史を通じ育んできた能力を失いかねません。
森を切り拓き、野生動物と接することが増えて様々なウィルスによる病気も蔓延したといわれます。経済優先の社会となり、自然への畏怖の念、先人から贈られた有形無形の恵みへの感謝が薄れ、私たちの経済・暮らしが今の状況の引き金を引いたとも言えます。山極先生はじめ、様々な方が、消費経済社会から贈与経済社会への移行が、今後生きてゆくうえで大切な事と言われます。
人間はいきものであり、大いなる自然の一部であるという“いのちの原点”を当たり前のこととして、お陰様、お互い様の社会で、かけがえのない暮しを、文化を未来に大切につないでゆきたい。
参考図書:「人間の土地へ」小松由佳著 集英社インターナショナル刊
「世界は贈与でできている」近内悠太著 ニューズピックス刊
80号「食べたものがあなたをつくる」
昨年3月に開催された有機野菜宅配の(株)にんじん30周年記念企画のリトリートが、villa CAMPO初体験でした。美しく整えられたお部屋、目の前に広がる畑、薬草園、ダマヌールサーキットの美しい石の渦巻き、広い空の心地よさ。今号のBeな人、船戸博子先生の漢方診断を受け、統合医療センターで好みのセラピー、夜は漢方のお話と、美しく美味しい薬膳料理を楽しむ会でした。健康に必要な情報、方法がぎっしり。まさに未病の健康ランドでした。
博子先生は漢方医として40年以上過ぎた今、薬も大事だけれど、日々のご飯はもっと大切と「薬(おくすりな)膳(ごはん)」の提案をされています。「自分に合ったものを食べて、楽しく生きて、幸せに死んでいく。漢方医は寿命を生き抜くために手伝う」と話され、漢方の体質判断と血液データに基づいた栄養分析で、その人だけの食事の作戦を立て、合った食材や調理法を提案されます。食べたものが自分のものになるよう組み立てられたパーソナル薬膳は、体が喜ぶ実感にあふれています。
昨年4月末に帯状疱疹にかかり、その後体調を崩して、頭は回らない、やる気は出ない、電池切れのように全身が機能低下した感じで検査したところ、副腎疲労とのことでした。亜鉛とマグネシウムの錠剤を勧められ服用するうち改善されてゆき、たった2粒のサプリメントでこんなにも変わるものかと驚くと同時に、からだは精巧な化学工場のように思え、微生物研究の平井孝志先生から伺った「ミネラルは命の運転手」という言葉を思い出しました。
マグネシウムは体内の300にも及ぶ酵素に働きかけ、亜鉛を必要とする体内酵素は60種以上。亜鉛は加工度の低い食品には十分含まれていても、加工でカットされやすく、ストレスが加わると容易に失われるミネラル。マグネシウムと亜鉛の不足だけで400種類くらいの酵素の働きが減衰し1000種ほどの生体反応や水準が低下、ミネラルが全般的に不足するとエネルギーの合成も含め体の中の酵素レベルが落ちるため、元気、やる気が減少するとの事に深く頷きました。
「あらゆる力は気から生まれる」と言われますが、「気」・「血」・「水」が元気の源。「気」はエネルギーで生きていく力であり、「気」のお母さんは「血」。血は栄養―食べたもので質が決まり、酵素も水・体液で囲まれた状態で活動するので水が活性化していないと働きが鈍くなるそうです。質の良い水が大切と言われる筈です。
私たちは「天の気」を鼻から呼吸を通して取り入れ、「地の気」を口から食べ物を通して取り入れます。土のミネラルが植物の体液となって私たちに入り、ミネラルたっぷりの植物は体を元気にします。食べるとは、土を食べること。その土が、化学肥料や農薬・除草剤等でやせ細り、ミネラル欠乏の野菜となり、病気の原因になってゆきます。「植物、動物、人間の健康度は、すべて土中のあらゆる要素に精密にリンクされており、食用に供する物を創出する最大の母体である土が病む時、我々は、そしてわれわれの子孫は病むことになる事はあまりに確かなことです」と平井先生が書かれています。人体は小宇宙。秩序とハーモニーのうちに精妙に機能しており、バランスを崩すと、何らかの症状や、病気となって教えてくれます。
Villa CAMPOでは、自然栽培の畑や薬草園の摘みたて野菜で薬膳料理を提供されます。病気療養の為でなく、健康管理と仕事で2週間滞在された方が、最初と最後に血液検査をしたところ、あきらかに良い状態に変わっていたそうです。
薬草に関する本を読むと様々な野草や、木の薬効に驚かされます。身近なヨモギ、ドクダミ、スギナ、ハコベ、タンポポ、オオバコ…、邪魔者とされる雑草たちのすごい薬効は、35億年もの過酷な環境の中、生き延びるため身につけたものだそうです。
春の苦みのある植物たちは、冬の間にたまったものを排毒する力を持っています。春の野草摘みなど古来からの風習には、私たちが元気に生きられる暮らしの知恵が詰まっています。病気が逃げ出す生命力あふれる体にしてくれる食物、方法が身近に沢山あります。庭先には、安全で健康的な雑草という名の野菜がいくらでも生えていて副食にことかかない、ともありました。
「あなたの薬をあなたの食物にし、あなたの食物をあなたの薬としなさいー紀元前4世紀の聖医ヒポクラテスの言葉。まさに医食同源です。
81号「私たちから始まる「リジェネレーション(再生)」への道」
今号のBeな人「一般財団法人 森から海へ」の渡邊智恵子さんの「ゴミから資源に」お話し会が「本草研究所RINNE」でありました。
鹿が増え、大変な状況にあると聞いてはいましたが、想像を超えていました。張られたフェンスで、里山に降りられず飢えた獣たちが、下草だけでなく、樹皮や落ち葉迄食べて飢えをしのぐ為、枯葉が無くなり保水能力の落ちた山の雨が鉄砲水となり表土が流されたり、地下水が増えず、川や水田の水不足が起こり、草原では、草を食べ尽くされ、花が咲かず、昆虫や小鳥、小動物が生活できない状況になるなど大きな影響を与えているそうです。
自然淘汰されていた鹿が、温暖化で越冬したり、耕作放棄地・放置牧場で鹿が増加、ハンターの減少で、100万頭捕獲しないと崩れる生態系が、現状は60万頭、うち90%が放置されている鹿肉で、良質なペットフードを製造、動物たちの健康を守り、森を守る「鹿プロジェクト」
もう一つは「繊維ゴミから紙を作るサーキュラーコットン」の活動。年間35億着生産される服の半分以上が廃棄され、食品と違い基準が甘い綿栽培で使用される化学薬品は、地球全体で使用される薬品の16%。工場で働く人々に及ぼす影響も大きく、膨大な量の水が使用され、大量に海に流れ込む排水は沿岸生態系の劣化につながり、私たちに還ってきます。世界のごみの14%に及ぶ繊維ゴミ。日本では、ほとんど焼却されるそうですが、日本の綿自給率はゼロ%。着るものの原材料も、生産もほぼ海外です。焼却を減らし、埋め立てず、昔から最高の紙とされている綿の紙を繊維ゴミで作る―ゴミを資源への取り組みです。
気候変動問題は二酸化炭素より農薬等が大きな問題で、自然に寄り添い、土壌を回復し生態系のバランスを取り戻そうという大地再生農業が世界各地で広がり、日本でも、草や虫を敵としない自然栽培農法等が広がっています。
蕎麦の花が咲く二週間前から畦道の草を刈らないでいると、その草を住処にする昆虫が1.5倍増え、そばの収穫量が3倍になるという番組を観ました。植物の地下は菌糸ネットワークと根のネットワークが広がり、相互に見事に助け合っています。生物多様性とは、生き物の種類の数が多様であることだけでなく、生きもの同士の互いの関係が複雑で多様である状況を指す言葉。自然界は山・里・海・大気と、見えない地下の世界もすべて繋がり大きな循環システムになっています。
『リジェネレーション(再生)』文中に、「再生とは、あらゆる行動や決定の中心に生命を据えることで、農地や森林や海洋だけでなく人間も含み、気候危機は、科学の問題でなく、人間の問題。世界を変える究極の力は、技術にあるのでなく、私たち自身。全ての人々、全ての生きものに対する畏敬や尊敬、思いやりにかかっている」とありました。元来八百万の神々の日本人にはなじみの深い考え方です。
大地再生農法により草原の生態系を蘇らせると同時に、野生動物の保護と農・牧畜業の両立を成し遂げた例や、土壌生態系が回復して保水力が上がり、農業の復活と下流の大都市の水不足が解消したアフリカの事例に「新しい事でなく先祖がやっていたこと」とマサイ族の方の言葉。77号のBeな人、地球守の高田宏臣さんは、人にも地球にも、その土地の生き物たちにとっても全てにおいて矛盾のない古来の土木を「環境土木」と呼び、古来の知恵で、壊れた自然を回復させる活動をされています。
「私たちは生きものであり自然の一部。“生き物としての社会”を考える時に、根っこから考えなければならない。生きものの世界では、バクテリアなど単細胞が基本であり、生態系全体を考えると植物が基本。“今”には38億年の命の宝が全部入っています」中村桂子先生の本にありました。
エネルギー多消費社会の暮しの見直しが未来につながります。失われたものを掘り起こす時代でもあります。人間ならではの想像力や共感などを活かし、そこから生まれた学問や技術を活用した「生きものとして」生きる社会。足元に願う世界に向かう道があります。
参考資料:
「よく分かる土中環境」高田宏臣著 PARCO出版刊
「人間が生きているってこういうことかしら」中村桂子・内藤いづみ著
ポプラ社刊
「リジェネレーション(再生)気候危機を今の世代で終わらせる」
ポール・ホーケン編著 山と渓谷社刊
82号「暮らしフルネス―暮らしの幸福論」
今号のbeな人、野見山さんが甦生(そせい)された築150年の古民家「聴(きき)福(ふく)庵(あん)」に伺いました。
単に元に戻すのでなく本質を残し、壊される家を惜しみ集められた様々な古材、建具が活かされた建物、室礼の美しさ、隅々まで心と手が行き届いた温かく清々しい空間でした。床下には沢山の備長炭と小さな水晶を置いて清浄さが保たれ、白洲正子さんが愛された唐紙、長囲炉裏縁側の見事さ。お風呂は粕漬の樽、捨てられるものに新たな息吹が吹き込まれていました。お手入れをして磨き上げることで木目が出てきて、磨くことで徳が出ると気づかれ、徳積みをスタートされたそうです。
伺った日に、二宮尊徳さんの一円観による「一円対話」を体験させて頂きました。ZOOMの向こうの人達と、その場の人達が車座になり、「傾聴・共感・受容・感謝」で長所を見つめる眼差しを養い、互いの長所を言葉に出して認め合う心の対話の出来る豊かな場で、初めてお目にかかった方達ばかりと思えませんでした
縁・徳が消えつつある社会に危機感を抱き、豊かな日本を復活させるには子縁社会と気づかれたそうです。徳を積み、磨き、甦生し子どもたちの安心できる未来のために行動したいとの願いから徳積財団を立ち上げられ、コロナを機に本社を東京から福岡に移し、働き方と生き方-経済と道徳 が一致する“暮らしフルネス”の実践をされています。
甦生された7軒のうち、3軒拝見させて頂きました。甦生は無理と言われた江戸時代の農家は風の抜ける美しい家となり、会社の方の住まいであり、イベント会場でもあり、庭に自然栽培の畑がありました。食育や生き方伝承の為復活させた「むかしの田んぼ」では社員の皆さんでお米づくりをされるそうです。
「暮らしフルネス」は、いのちが喜ぶ丁寧な暮らしを積み重ねていくことで、本来備えている足るを知る暮らしの姿。日々を味わい暮らすと、心が育ち、生き方が変わり、暮らしが変わると世の中を仕合せにする。日々に新たな暮らしを生き切ることこそ本義と、お手入れすることの大切さを言われます。
「手入れ」は日本の思想、と養老孟司さんの本にありました。日本人本来の自然に対する感覚の根本にあるのは、「自然との折り合い」。手を加えなければ野生化してゆく日本の自然に、先人たちが一生懸命手を入れて生まれた里山の生態系。自然のままでもなければ、人工そのものでもない、人間が手入れして作った世界が日本的世界の特長だそうです。
私たちは沢山の徳を天地自然、ご先祖様、先人から頂いています。手入れされた森、水田、棚田等を見ると、ご先祖様、大自然から頂いた徳が実感しやすく、自然に子孫の為に徳を積む生き方を目指せたと思います。一方都会は人工の世界で、しょっちゅう景観も変わり、先祖・先人とのつながりが分かりづらく、徳を積むという生き方になじみが薄くなりがちです。が、今の自分が存在するのは先祖・風土のお陰であり、ご先祖様は日本人にとっての神様とも言われます。
徳は古くから何より大切な事と言われてきました。アリストテレスは人類の幸福論で、徳を積むことこそが人類が幸福に生きる道であると言い、老子は無為自然であることこそ極上の徳と説き、松下幸之助氏も人間として一番尊いものは徳と語られています。漢方でもは仁と信で、徳を積むことが、年齢を重ねるにつれ減る精を補うと言われます。
恩に報いる心が徳の基本で、徳を実践する原動力と言われます。人間は共感力を発揮して互いに助け合う社会を創ってきました。量子力学が進歩し、意識が現実化するメカニズムを明らかにしつつあります。徳を磨き続けること、徳を積む生き方を多くの人が心がけることは平和な世界に向かう意識を深め、現実化するエネルギーが増えることではないでしょうか。調和のとれた平和な社会への大きな一歩と思います。
自然に感謝し、丁寧に味わい暮らし、徳を磨くこと、そこに人類の幸福と豊かさがあると感じます。
参考図書 「手入れという思想」養老孟司 新潮文庫
『暮らしフルネス ~暮らしの幸福論~』野見山広明著