いよいよ発刊!
A Doctor for the Earth と呼ばれた微生物研究者 平井孝志先生1999年脱稿 渾身の原稿が本になりました!

出版の経緯

平井孝志先生が1999年、古希の歳に脱稿された原稿をお預かりしていました。
どこかで出版できる折があれば、と思っていましたが機会がなく、
今日まできてしまいました。
「地球も含めて、宇宙のやってなさらんことをやってはならん」という思いで
いのちを見つめ、地球再生には「物の物理」に脚を置くのでなく、
「生命の系」の原理を呼び込むことが大切と、多岐に渡る視点で書かれており
どの項も、深く頷くことばかりです。
今こそ、とても大切な事と思い、発刊することにしました。

本は、大切に手から手へ、人から人へ伝わるような形を大切にしたいという思いで、
「森の中の本工房&本屋さん」を新たにスタートされた風來舎の寺島さんに編集
していただき、やっと産声を上げることができました。

この本の売上げの一部を環境基金として、環境活動支援をさせて頂きます。
いのち、地球、未来を大切に思う人たちと、つながりを深め・広げてゆきたいと願っています。
本のみのご注文はこちらからどうぞ

.開発者の横顔

プロフィール

昭和5年大阪に生まれる。
1972年:微生物的環境技術所を設立し、現在同研究所主幹。
正しい思想を持たない鋭い技術は環境を一層混乱に導くのみであるという信念のもと、
地球生態系再生の為、わかりやすい用語を用いて独自の「自然学」を展開する。
地球様のなさらんことはしなさんな」「微生物様は神様です」等名言多数。

1992年:ブラジルで開催された地球環境 サミットで日本人の実践者として紹介されるなど、
壊れつつある自然界の循環を甦らせる「地球の医者」と言う愛称でマスコミを始め各界から評価が高い。
タイでの長年にわたる植林活動がNHKで取り上げられたり、ベトナムの土壌改良指導等多彩な活動を展開。
2001年 世界湖沼会議において「水浄化の新技術開発シンポジウム」座長を務める
北海道から沖縄まで講演依頼があり、全国各地で講演。
「旭川市政100周年記念講演(於 旭川市)」「宮沢賢治生誕百年祭・米作農家青年者大会基調講演(於 花巻市)、
奄美群島日本復帰五十周年記念式典で「人と自然が輝くオンリーワンの島づくり」の演題で記念講演(於 与論島)

著書:「Dr. for the Earth 地球のお医者さん」(生食協会)
  「背戸川排水路水質浄化対策事業~その技術概要と成果の報告」(微環研)
 「共生と環境の思想を求めて」(共著京都フォーラム編、NHK出版)
  「無の技術論~私の自然学」(「現代農業」全18回連載)他多数

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微生物様は神様

「微生物から宇宙を考える ~ いま、意識改革のとき」発刊にあたって


微生物研究者平井孝志先生とのご縁の始まりは、1999年に所属している勉強会の先生から頂いた
1本の講演テープでした。「地球様のなさらんことをしなさんな」という言葉が心に響き、
いつか直接お話を伺いたいと思っていたところ、2000年1月の勉強会でご講演を伺う
ことができ、知りたかった事を学べる喜びで一杯になったことは今も鮮明です。

独学で自然の摂理を師とし、命の根源である水、ミネラル、微生物こそ、
人類を救う「如意棒」との思いで研究され環境再生の道を拓いてこられました。
「微生物様は神様です」「後始末のテクノロジー」「地球時間を忘れない」等々、
環境浄化、再生、保全の仕事をされる中で生まれた数多くの名言に大切な事に
気づかせてもらっています。

1999年、先生が古希の歳に脱稿された「宇宙意識如意棒論(仮題)」の
原稿をお預かりしていました。

人間がつくったものは何もなく、すべて宇宙からのものであり、環境問題は
そのまま命(いのち)の問題と、いのちの根源から語られる、水・ミネラル・
微生物のはたらき、つながりの数々に、さまざまに張り巡らされた循環が
ありありと感じられ人智を超えたいのちの営みに感動します。

長年の微生物研究から導かれた、土のいのち、水のいのち、食のこと、森、
海、農業、牧畜、仏教等々多岐にわたる様々な視点の環境観、宇宙観、生き方
・考え方をまとめられた内容は、古くなっているどころか、現代にこそ
不可欠なものと思います。

 原稿が書かれた当初に世に出て、自然の摂理に添って生きることが当たり前
になっていれば、環境も、ここまでにならなかったのではと思われます。

けれど、科学の進歩・発展で微生物研究が進み、森も大地も川も、身体も、
微生物のはたらきなしに健康であり得ないことも広く知られるようになり、
量子物理学の進歩で、荒唐無稽に思われがちだったことも絵空事でないことが
分かってきています。

 気候変動、エネルギー、食糧等々あらゆる問題が行き詰まりの様相を呈し、
小手先のテクノロジーで打破することは難しく、根源的な意識改革が求められ
る時代となりました。

いのちの原点に立ち、様々な事を俯瞰された先生の原稿は、今こそ求められる
ものとの思いから発刊することと致しました。

『自分たち、現代はもちろん未来世代の人達の生存条件の具体的有様を思い
描きながら「環境」と受け止めてもらいたい。その思いが、この書を書かせる
原動力の一つにもなっている。… 文中より』

一人でも多くの方のお手元に届き、未来への羅針盤となりますことを願ってやみません。

発行人 株式会社鶴田商会・Eco-Branch  鶴田 清・紀子
         2021年8月15日刊


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微生物から宇宙を考える 抜粋

「おかげさま」でできている因縁の世界

この世界は「おかげさま」でできている因縁(農業的循環) の世界である。
因縁の世界とは、個人の予見を超える予想外によい結果にも出会う可能性が
あると同時に、取り返しのつかない結果を生み出す世界でもある。

これに反して、因果の世界は、いわば力学的世界観が素早く通用する世界
である。 科学で説明のできる、割り切れる世界で、文明という名の下に、
人間中心主義が直線的に肯定されてきた工業的世界である。

神の実在も霊の実像も、科学的に計測しない限り信用できない、という論理が
通用する世界を許したのは、力学的世界観が支配していたからだといえる。

環境がここまで傷ついたいま、エコロジー(生態学)とかエコマインドとか、
たいそうな変革が叫ばれるようになったが、私の提唱する〈自然学〉は、
もともとそういう世界観に立つものである。因果関係がよく見えていなくても、
比較できるサンプルの数が少なくても、確かな要素や現象の積み重ねがあり、
それによって「いのち」の循環が実存すると直感できたら、そのことに素直に
合掌できる価値観を持つ。
〈自然学〉はそういうところに立脚しているのである。

ー中略ー

地表にしがみついた価値観では、他者と比較することでしか自己の生きざまと
喜びを測るような過去を是正できない。
いまやそんな思想は恥ずべき時代に突入しているといわなければならない。

日々地球が回り、太陽も回り、月が巡る。回り巡りながら、それぞれが銀河系を
巡りあっている。地球の一年は365日だが、太陽は約2億年かけて銀河系を一周する。
その太陽のおかげで生きているわれわれは、だれ一人として宇宙旅行をした人間が
いないにもかかわらず、太陽と一緒に宇宙を旅して巡っているのだという、
壮大な物語を知見として持つことのできる時代にいるのである。

インドへ行くと、死者を荼毘に付して、その灰をガンジス河に流すという風景が
ごく日常的に見られる。ガンジスは聖なる水である。
これは死者を蘇生せしめようとする儀式だが、近現代的にいえば、生物(人間)が
摂取した多元素ミネラル群を海に還すという合理主義の文化である。

とくに微量ミネラル群は地球生命系にとっては貴重なものであり、循環利用なくしては
たちまち不足してしまうものだからである。
ごみを焼いて、その灰を生ごみとともに埋め立てるより、インド式理葬のほうが
何倍も科学的であることを見逃してはならない。 私は本気でそう考えたい。

すなわち「因縁=循環」の思想は、生態系の持続的発展にとってきわめて合理的な
システムを用意しているのである。それを一律に「宗教的」という言葉でくくって
しまい、環境問題と絡めた深い洞察を持てないようなら、それこそ科学的無知人間
といわれても致し方がないだろう。

「因縁」とは英語に訳せば、「予期せざる遭遇」[unforeseeable encounter]である。
現代に生きるわれわれにとっては、たんなる宗教用語にとどまらず、エコロジーの
本質を示す概念であることが実に鮮やかに理解できるだろう。
                           ーあとがきより

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水とミネラルと微生物こそが人類を救う如意棒


人間が目に見えて自然を破壊し出すまで、地球上には無駄なことはひとつもなかった。
弱肉強食がまかり通る世界ではあっても、強者は自分にとって必要以上のもの
を殺めることはなかった。動物の死骸や糞、落ち葉などは微生物の働きによって、
長い時間をかけて土に同化して行った。

現代社会が不燃ごみを強制的に埋め立ててしまうように、土とは異質な状態の
ままで、無理矢理同化させようとすることは決してなかった。

宇宙は地球を誕生させ、そこに生態系を生み出したときから、一度も変わる
ことなくそういうことをやってこられたのである。この力の流れが摂理と呼ぶ
ものの正体である。興奮気味にそう認識することで私はホッとする。

ところが人間は、そのように宇宙のやってこられたことに反する行為を繰り返したあげく、
地球の危機といわれる時代に追い詰められることとなった。
いまのままでは地球は大変なことになるぞ、という警鐘は、私が改めて持ち出すまでもない。

しかしそれを防ごうとして人間が頼っているのは、なおもテクノロジー一辺倒である。
下水の急速濾過という方法も、テクノロジーですべてを解決できるという人間の
慢心が生みだした手法である。

人間社会は、テクノロジー一辺倒で招いた状況から脱出するのに、またテクノロジーに
頼ろうという愚かなことを繰り返そうとしている。もっと違う考え方、方法があるはずだ。

それを感じたとき、私は自分が子供だった数十年も前、西遊記の中で孫悟空が
持っている「如意棒」を、自分が是が非でも手にしたいものだと渇望していた
時代があったことを思いだした。

 地球上に初めて生物が誕生したときの状況。水とミネラルと微生物。
この3つこそ人類を救う「如意棒」ではないか。そう考えると、私は確かに
自分が「如意棒」のツカを握っていると感じるようになった。

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「地球維新」創出の覚悟

量子論に導かれた「地球の存在原理」に関わる革新的認識は、環境の保全と是正に
対応する私たちの「地球維新」創出への覚悟を呼び起こしているのだと理解
しなければならない。

ここに「環境の保全や是正に対応する」というのは、生態系のありようを何億年も
かけて地球・自然がやってきたシステムを、深く考慮することを通して自然に戻す
ということを示唆しているのである。
生態系を守護するのに、いわゆる「革新的技術」はなんら必要でない。

 すなわち大自然とは何かを、しっかりと把握する自然観・価値観を根底から変換
することで、本来あるべき農業の総合産業としての在り方も変わり、そのことから
地域も変わり、生活の在り方も変わるというものである。

生活の在り方が根底から変革されるから、それぞれの生活の立場から「物心一如」
という宇宙の存在原理を認識するのに、「自然体で」ということを実践できる
ようになるのである。これこそが行動の真の革新的原点となるのである。

こういう道筋で私たちは「地球維新」創出へ踏み出し、(自他ともどもに) 隊伍
を組んで、生命の原理・宇宙の真理と呼吸できるに到る。

理屈なしにこの地球に下座する考えが沸き起こり、理性とか道徳という地球重力、
人間社会の桎梏(しっこく)(注:手かせ足かせ)を超えて、本当に宇宙への想いと
日々の行為が合流し、それが自然に実践されるに到ると確信する。

「意識の進化」はこうして果たされ、愚かにも滅ぶことのない人類が子孫に、
形としてそれを継承する決意のときがいまであろう。

最後に、環境問題への対応は普遍的な意味での「利他行」と同義であること、
そしてそれを真に正しく実践するために、家庭でのしつけ、社会における教育、
徳育が何よりであることを、改めて強く主唱してペンを置く。

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